大河ドラマ『真田丸』真田幸村ゆかりの観光地

この記事は14分で読めます

真田幸村と真田丸

NHKの大河ドラマに取り上げられる主人公は、その後、世間でブームとなり、ゆかりの地は、観光地としてお客さんがたくさん訪れますよね。
これは十分、町おこしになりますので、自分たちの町の歴史上人物を、ドラマ化しようというムーブメントも各地で起こっています。
さて、2016年1月スタートのNHK大河ドラマは「真田丸」です。
これは大阪の陣で大活躍した人物、真田幸村が主人公です。
演じる俳優さんは、幅広い世代から人気がある実力派俳優の堺雅人です。
そして、脚本はあの三谷幸喜ということですから、これもまた楽しみですよね。
この豪華なキャストやスタッフの組み合わせで「真田丸」がどのようなドラマになるのか、期待も大きいです。
そして、2015年は徳川家康が豊臣を滅ぼした「大坂夏の陣」からちょうど400年という記念の年です。
大阪城では、この記念の年にちなんださまざまなイベントが開催されています。
歴史上の人物ですが、みなさんのなかには真田幸村をご存知ない方もいらっしゃると思います。
「日本最強の武将」という呼び名もある真田幸村ですが、陰の立て役者的な存在ですので、豊臣秀吉や徳川家康ほど、有名ではないかもしれません。
では、真田幸村はどのような人物なのでしょうか。
ドラマを見るに当たって前知識があったほうが楽しめるでしょう。
それに、これからゆかりの地、観光地を巡る予定のある方も真田幸村について知っておいたほうがさらに楽しめるでしょうね。
真田幸村の本名は、真田信繁です。

スポンサードリンク

真田幸村と真田丸続き

真田幸村が活躍した時代は、安土桃山時代から江戸時代初期です。
この時代の武将として真田幸村は数々の戦いで名を上げてきました。
そもそも、真田家は武田信玄の家臣でした。
関ヶ原の戦いにおいての、幸村とその父の昌幸の活躍はよく知られていることだと思います。
家康の息子である秀忠が率いた徳川家の大軍を、真田家はごくわずかな兵だけで信州上田城にくぎ付けにするほど、名高い武将でした。
真田幸村のゆかりの地として、また、観光地として有名な場所が「三光神社」です。
大阪七福神にも入っている三光神社、訪れたことがある方も多いでしょう。
JR大阪環状線の玉造駅から徒歩10分ほどのところにあります。
大河ドラマのタイトルとなっている「真田丸」は、真田幸村が大坂の陣において築いた砦であり、三光神社には、そこへ抜ける穴のような洞穴があるということです。
三光神社は、真田幸村にまつわる観光地のひとつとなっていますが、ゆかりの地と少し違います。
大坂冬の陣で、真田幸村が勝ち戦をした場所なのです。
その勝利を祝うために、毎年11月の第1日曜日に真田祭りが行われていますので、真田幸村ファンの方々は必見のお祭りでしょう。
抜け穴のような洞窟は、普段、閉められたままですが、真田祭りでは一年に一回だけ、抜け穴の戸が開かれるとのことです。
三光神社の住所は大阪市天王寺区玉造本町14-90です。
真田幸村にまつわる観光地のひとつですから、是非、訪れてみてはいかがでしょうか。

真田幸村最後の地

真田幸村ファンが訪れる観光地は全国にいくつかあります。
有名な場所のひとつは「真田幸村、最期の地」と呼ばれている「安居神社」でしょう。
この神社は「安居天神」と呼ばれることもあり、大阪にあります。
安居神社の場所は、大阪市天王寺区逢阪1-3-24。
大阪市営地下鉄の恵比寿町駅から徒歩5分くらいのところにある神社で、真田幸村の終焉の場所として訪れる方が多いです。
慶長20年5月、家康の首を取るまで、あと一歩のところで、安居神社で傷付いた体を休めていたところ、徳川方の武将である西尾宗次に発見され、討ち取られてしまいます。
終焉の地ですが、幸村はこの神社に眠っているわけではなく、葬られている場所はいまだ不明ということです。
これには他の説があります。
西尾宗次が真田幸村を討ち取ったのですが、それは本人ではなく、幸村の影武者、真田十勇士の一人だったという説です。
討ち取られたのは穴山小助であり、真田幸村は豊臣秀頼と一緒に抜け穴から脱出して、薩摩まで落ち延び、薩摩で生涯を終えたという説があります。
この説が正しいと思えるのは、真田幸村の墓が鹿児島県の南九州市頴娃町にあることです。
本来なら観光地となるべき場所ですが、幸村の墓は私有地にあるので、一般の方が訪れるのは難しいでしょう。
他にもさまざまな説があり、真田幸村の墓は全国で7ヶ所にあります。
いまだ、幸村の死の真相がはっきりせずなぞに包まれているところもよいですよね。

真田十勇士ファンにお勧めの観光地

大河ドラマの影響で真田幸村ブームが続きますが、そんななか、ゆかりの観光地も多くの人が訪れています。
数多く存在している武将のなかでも、「真田幸村が一番好き」という方も珍しくなりようです。
真田幸村と言えば、真田十勇士をイメージする方も多いでしょう。
真田幸村を語るなら、真田十勇士の存在は欠かせないものです。
真田幸村の活躍を支えた彼らは、共に戦い時代を駆け抜けた家臣たちです。
真田十勇士は、実在したかどうかは不明ですし架空の人物たちとも言われています。
多くのドラマや映画になっていますから、ご存知の方も多いと思いますし、なかには真田幸村の名前はピンとこないけれど「真田十勇士なら知っている」という方もいるほどです。
事実かどうかも気になるところですが、こうして真田十勇士の存在が現世に語り継がれていることはとても重要だと思います。
真田十勇士のメンバーで有名な人物はなんと言っても猿飛佐助でしょう。
独自に物語になっている人物ですよね。
こうした陰の家臣たちのお陰で、幸村は多くの武勇伝を残してこられたという説もあります。
そして、ほかにも十勇士には霧隠才蔵や三好清海入道、それから、三好伊三入道、穴山小介がいます。
また、由利鎌之助や筧十蔵、海野六郎や根津甚八、そして、望月六郎です。
特に猿飛佐助のゆかりの地は長野であり、観光地にもなっていて、多くの観光客が訪れているようです。
佐助は真田町にある、角間渓谷という場所で修行をしたと言われています。

真田十勇士ファンにお勧めの観光地続き

猿飛佐助が修行をしたと言われている場所には、実際に「猿飛佐助修練の場」と書かれた史跡もあり、角間渓谷は観光地として有名なのです。
また、真田十勇士のゆかりの地として、上田城も有名ですよね。
上田城を観光するなら、さらに足を伸ばして、信濃国分寺付近の石像を見に行きましょう。
真田幸村と真田十勇士の石像がずらっと並んだところがありますので、真田ファンは必見でしょう。
小牧城の山城の麓で、小牧城の登城口で石像を見ることができます。
上田市の観光地紹介パンフレットにも記載されていますのでご存知の方も多いと思います。
石像の真田幸村は甲冑ではなく六文銭の陣羽織をまとっています。
真田幸村の石像を中心に真田十勇士の石像が左右へと並べられています。
顔のつくりはそれほど巧妙ではないので、石像はなんとなくすべての顔が似ているように見えますが、身に着けている武器やポーズなどが違っています。
そして、きちんとそれぞれの人物像を表しています。
台座には真田十勇士の名前が、それぞれ書かれていますので、誰の石像なのかちゃんとわかるようになっています。
お気に入りの一人とツーショット写真を撮るのもよいでしょうし、石像全員と豪華な記念撮影をすることもよいでしょう。
真田幸村ファンとしては、撮影スポットにおすすめですんで、是非、訪れていただきたい観光地のひとつですね。
幸村と真田十勇士と合計11体の石像に囲まれて撮影できるので、とても迫力ある記念写真が撮れますね。
場所は上田城下から少し距離があるため、歩きはちょっと大変かもしれませんので、車のほうが便利でしょう。

真田幸村の隠し湯

長野県にある上田市は観光地も多いです。
平成18年に旧上田市と丸子町、真田町、武石村が合併して今の上田市ができています。
上田市は、長野県の東部に位置する市で、塩田平という盆地の中にあります。
塩田平には、観光地としても知られており、鎌倉時代に建てられた安楽寺等の寺社仏閣が数多くあります。
信州の鎌倉と呼ばれ国宝になっているお寺もあります。
上田市と言えば、なんと言っても戦国時代に真田の一族が本拠を置いていた場所です。
真田家のゆかりの地として数々の観光地が存在し、幸村の父、真田昌幸や長男の信之、次男の信繁にまつわる言い伝えがたくさん残っている土地です。
真田幸村が、家臣の猿飛佐助や霧隠才蔵などの忍者、いわゆる、真田十勇士とともに活躍する姿はドラマ、映画などで見ることができますよね。
上田市の観光地としては、他にも北上信越高原国立公園の菅平高原や、八ケ岳中信高原国定公園に指定されている、美ケ原高原などがあります。
冬場はスキー客でも賑わう場所です。真田幸村にゆかりがある観光地のひとつに「幸村の隠し湯」という場所があります。
真田幸村が「隠し湯」として利用していた温泉のことです。
きっと幸村は、戦で疲れた体をこの温泉で癒していたことでしょう。
心身ともに癒されることで、戦への活力を養っていたのだと思います。
真田幸村が愛用していた温泉は何箇所があるようですが、そのなかでも、真田一族が発祥した地で有名な真田町にある「角間温泉」が隠し湯のひとつです。

真田幸村の隠し湯続き

真田幸村の愛用した温泉は、「隠し湯」と呼ばれているので、当然ながら、ちょっとわかりにくい場所にあります。
角間温泉は、渓谷の奥深い場所にあり、とても静かな温泉地となっています。
ほかにも、真田町から距離がありますが、「別所温泉」も真田幸村ゆかりの地です。
別所温泉は当時、日本三御湯と呼ばれ、順徳天皇が選ばれた日本の最も優れた温泉の三つに入るほどでした。
真田幸村のさまざまな物語が言い伝えられている別所温泉は、観光地としても賑わっています。
例えば、真田太平記という物語には、別所温泉が登場しますので、真田ファンの方はご存知の温泉でしょうね。
関ヶ原の合戦で、真田幸村の家臣である忍者たちが別所の里に身をかくし、上田城で徳川と戦う昌幸と幸村を見守っているというシーンがあります。
この場所が別所温泉の石湯と言い伝えられています。
石湯には「真田幸村公隠しの湯」と書かれた石碑がありますので幸村のファンの方は、これらの温泉を訪れてみるとよいでしょう。
伝説の武将、真田幸村に思いをめぐらせ、同じお湯に浸かってみることもロマンですよね。
他にも多くの名湯が存在している上田市ですが、特に角間温泉は日本森林浴の森・100選にも入っている角間渓谷の奥深いところに位置する一軒宿の温泉地です。
火山岩の峡谷で、断崖絶壁、秋には紅葉の名所になっています。
温泉地の近くには、真田本城跡や歴史館、記念公園など、真田の名前がついた観光地が点在しています。

真田幸村ゆかりの地「海野宿」

真田幸村、真田十勇士のゆかりの地として知られている、海野宿は観光地にもなっていますが、割と静かな場所です。
海野宿(うんのじゅく)は、昔、地元の豪族・海野氏の領地だった場所です。
真田幸村の祖父である、真田幸隆の出自も海野氏だと言われていますし、真田十勇士も物語として多くの人の心を掴んでいますが、そのなかの一人、海野六郎もやはりこの地の出身者です。
根津甚八も海野近辺の禰津地籍というところの出身です。
このようなことから、海野は真田家ゆかりの地ということで、ファンの方が訪れているようです。
2016年のNHK大河ドラマは、真田幸村を主人公とした「真田丸」であり海野宿のゆかりの地として人気が上がってきました。
また、昔の雰囲気を残した情緒溢れる町並みですから、単に観光地として海野宿を訪れる方も多いです。
海野宿の場所ですが、旧中山道と北陸道を結んだ北国街道にあります。
軽井沢の先の追分宿として、中山道から分かれ、善光寺を通り越後へ向かう街道であり、参勤交代にも使われたということです。
善光寺参りの人や、佐渡金山の金を江戸へと運ぶための道でもあり、当時は要所だったのです。
海野宿は寛永2年に、開設された旅籠で、小諸宿と上田宿のちょうど中間にあります。
現在は、国道18号線から少しはずれ、脇道となっているので、国道の道路整備の影響を受けず、昔の街道の風情を残しています。
海野宿は、独特の雰囲気を持つ宿場町であり、千曲川がすぐ近くを流れています。

真田幸村ゆかりの地「海野宿」続き

海野宿では、とても情緒ある風景を楽しむことができますから、真田幸村ファンではなくても十分に楽しめる観光地でしょう。
海野宿は、真田幸村ゆかりの観光地ですが、他の地と比べても、落ちついてゆっくりできる穴場と言えるでしょう。
海野宿の魅力のひとつに「うだつ」があります。
「うだつ」を近くで見られる観光地なのです。
「うだつ」とは「うだつが上がらない」で用いられるものですが、出世できない人物のことを表しますよね。
この語源である「うだつ」は漢字で「卯建」「宇立」と書きます。
昔、隣家との屋根との間につけた防火壁のことです。
江戸中期以後は、商家として立派な「うだつ」を造ることで商売が上手く行っていることを誇示していたといわれています。
ですから「うだつがあがらない」とは「繁盛していない」「出世できない」という意味となったそうです。
真田幸村ゆかりの地、海野宿では、立派な「うだつ」が立ち並んでいるので、それを見ることができる貴重な町です。
立派な「うだつ」が残っているところを見ると、宿場として海野が栄えていたことが伺えますよね。
海野宿は、昭和62年、重要伝統的建造物保存地区として文部科学省に指定された。
明治時代には宿場としての機能も失われたが、広い旅籠の建物はそのまま保存され、養蚕を営むようになったという。
そのために当時の建物が今日まで残ったそうです。
真田幸村に関係した観光地もいろいろありますが、幸村ファンでしたら、海野宿も是非、見ておくべきでしょうね。

真田幸村墓碑

真田幸村墓碑は蔵王、白石市福岡蔵元の田村家墓所内にあります。
ミヤコーバスの「蔵元」停留所から歩いて5分くらいのところです。
蔵王は観光地であるほか、真田家ゆかりの地としても人々に知られています。
真田幸村の墓碑をお参りする方も多いですが、幸村の墓はなんとも言えない普通の墓で、無銘の自然石です。
何も彫られていない墓碑にびっくりする方も多いと思います。
あれだけの有名な武将の墓がこんなに地味とは。
そもそも仙台の真田氏は、江戸時代に真田信尹の後裔だったので、幸村の墓を建てられませんでした。
ですが、白石城内にいた女子たちは、ある程度、公に幸村を弔うことが可能であり、慶安元年、1648年、五女阿梅が幸村の菩提所に「月心院」を建立しました。
そして、白石城下当信寺に墓碑を立てたと言われています。
その後、白石に移った九女阿菖蒲は、旧三春領主田村氏の後裔である片倉定広に嫁ぎます。
寛文4年、1664年に死去し白石市福岡蔵本・田村家墓所に葬られます。
阿菖蒲の墓碑の場所は、夫である定広の墓碑の隣ですが、その隣に「幸村の墓碑」と言われている無銘の墓碑があります。
これは阿菖蒲が生前の幸村の髪を埋葬し、墓を立てたという説があります。
片倉守信は、当時、真田大八と名乗っていました。
そのころも真田の名を使っていたことに幕府が疑念を抱いていたそうです。
亡き幸村を弔うのに無銘の墓碑を立てることくらいしかできなかった気持ちを察すると切ないですね。
田村家墓所には、真田父子の墓碑があります。
昭和初期には、幸村墓碑は観光地の名所のひとつとなっていましたが、そのころに標柱が付けられたようです。

真田幸村ゆかりの地を巡る観光タクシー

真田幸村にちなんだ観光地を回ってくれるタクシーコースがあります。
観光地には人気スポットを巡る観光タクシーが多いなか、真田幸村のゆかりの地を巡るコースとなっています。
出発は別所温泉駅、または、それぞれの宿泊施設からとなります。
立ち寄る場所は、まず、真田氏歴史館です。
ここは真田一族の歴史が紹介されていますので、真田幸村をあまりご存知ない方でも詳しく知ることができるでしょう。
展示物がずらっと並んでいますが、年代順に並べられているので、わかりやすいと思います。
時の流れに添って真田氏の活躍が理解できます。
大阪夏の陣からちょうど400周年となり、この戦の様子を描いた屏風絵等も飾られていますので必見です。
その後は、真田氏館跡、真田氏本城跡へと立ち寄ります。
真田氏本城跡は、松尾城とも呼ばれている城です。
幸村の父である、昌幸が上田城へと移るまで、ここが真田氏の本城だったと言われています。
タクシーでは頂上付近まで上ることができますので、砥石城や上田平などが一望でき、山頂からの景色を楽しめることでしょう。
そして、長谷寺(ちょうこくじ)です。
真田幸村の祖父である幸隆が開山したお寺であり、真田氏の菩提寺です。
六文銭が刻まれている石門は、珍しい形をしているので、見所でしょう。
幸村の父である真田昌幸のお墓、真田幸村の供養塔もありますので是非、お参りしてください。
そして、真田幸村ゆかりの観光スポットを巡るタクシーが、次に訪れる場所は山家神社(かまがじんじゃ)です。

真田幸村ゆかりの地を巡る観光タクシー続きその1

四阿山が神体となっている山家神社は、真田氏の氏神様と言われています。
隣には真田神社があり、真田幸隆と昌幸、真田幸村、この3人が「祭神」として祀られているのです。
そして、観光地の旧街道を散策し、柳町へとタクシーは移動します。
旧北国街道沿いにある柳町は、城下の商人町として栄えた場所で、その名残を感じられます。
「卯建」にはさまざまな種類があり、柳町では「袖卯建」が有名ですので是非、ご覧ください。
次に観光タクシーが訪れるのは上田城です。
上田城には「信州上田おもてなし武将隊」がお客様を迎えてくれます。
こうした特徴的な観光地でのサービスがあるのは、とても嬉しいですよね。
タクシーコースのツアー参加は城内ガイドがセットになっているので、上田城を見学しながら、さまざまなエピソードを教えてもらいます。
ここでは特に楽しい見学ができることでしょう。
そして、次は上田市観光会館です。
上田城での案内が終わると、おもてなし武将隊は、なんと上田市観光会館まで送って下さいます。
ここでお昼休憩になります。
ランチは、手打ちそば「千本桜」でおそばをいただきます。
特産である「くるみおはぎ」は、観光地ならではの特別なおはぎですから、是非、ご賞味ください。
今や人気の観光地である、真田幸村ゆかりの場所を巡るタクシーコース、午後は松代町散策をして武家屋敷を訪れます
真田氏が城主となり、10万石の城下町、松代町には、多くの武家屋敷が残っていますので、豊かな風情が楽しめる町です。

真田幸村ゆかりの地を巡る観光タクシー続きその2

真田幸村ゆかりのスポットを巡る観光タクシーコースを利用すれば、松代町では、地元のガイドさんが、タクシーで一緒に城下町を案内してくれます。
中でも楽しみのひとつが真田宝物館です。
真田幸村ファンでしたら、ここは訪れておきたいポイントでしょう。
真田氏のことや時代背景がわかる数々の資料が展示されていますので、ゆっくりご覧下さい。
そして、松代城は、千曲川のほとりにあります。
松代城は、上杉謙信の攻撃に備え、武田信玄が山本勘助に命じて造らせたお城です。
現在では、太鼓門、北不明門(きたあかずのもん)が復元されていますので、昔の姿を見ることができます。
次は、観光地としても知られている川中島古戦場です。
川中島古戦場は、多くの方がご存知だと思いますが、武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の合戦地です。
現在は「八幡原史跡公園」となっており、きちんと整備されています。
そして、八幡社もここにあります。
是非見ておきたいのは、「両雄一騎打ちの像」でしょう。
その横には「風林火山」と「毘」の旗も飾られています。
真田幸村ゆかりの場所を巡るタクシーツアーは長野駅の周辺か宿泊施設にて終了します。
所要時間はおよそ約7時間30分ですので、1日かけてたっぷりと観光地を楽しんでいただけますね。
バスや電車で移動しながら真田幸村ゆかりの場所を巡ることも良いですが、少人数のグループでしたら観光タクシーを予約しても良いでしょう。
公共の交通機関で行くにはちょっと不便な場所にも楽々、行くことができます。
また、何よりも、迷わず観光スポットに到着できますから、時間のロスもありませんし、道中もいろいろなお話が聞けて楽しいでしょう。

上田城周辺の真田幸村ゆかりの地

NHKの大河ドラマの主人公としても注目されている真田幸村。
ドラマの舞台となった地域は、毎回のことですが、観光地としても人気が出て、それまで寂れていた場所も賑やかになります。
これは地域興しにもなりますので、とても良いことです。
さて、真田幸村が好きな方は、ゆかりの観光地を巡ってみましょう。
電車で行くなら上田駅周辺がお勧めです。
車で旅行ももちろん楽しいですが、誰かが運転しなければならないというプレッシャーがありますし、お酒も飲めませんし、運転に集中して旅行を楽しめないという方もいらっしゃいます。
みんなが一緒に楽しむには電車の旅が一番です。
ここでは、上田駅近くにある真田幸村ゆかりの地をご紹介します。
上田駅で下車すれば、真田幸村をしのぶ幾つかの観光スポットまで、歩いて立ち寄ることができます。
上田駅は、長野新幹線の停車駅ですから利便性も高く、他にも、しなの鉄道や上田電鉄も走っています。
上田駅で下りて、歩いていけるスポットとしては「上田城跡」それから上田城公園内にある「真田神社」がお勧めです。
また、「信幸の館跡」「芳泉寺」、それから観光地でもある「柳町」もお勧めですので、半日ほどかけてゆっくり回りましょう。
さて、上田駅の正面には、真田幸村像が立っており、これは真田ファン必見ですから、是非とも記念撮影をして頂きたいです。
ここから真田幸村ゆかりの地巡りをスタートしましょう。
まずは、「上田城跡」と「真田神社」に上田駅から歩いて行ってみます。

上田城周辺の真田幸村ゆかりの地続き

真田幸村ゆかりの場所「上田城跡」は、現在、上田城跡公園として整備され、広い敷地の公園となっていますのでお散歩するのも気持ちが良いです。
また、公園に隣接しているのは市民会館や体育館、野球場や陸上競技場、プールなど、公的施設が充実している場所です。
上田城は取り壊されており、その姿を見ることはできませんが、残っている、やぐら、門、堀、石垣などから、当時へ思いを馳せることができるでしょう。
観光地としては、桜が見られることでも有名で、桜の季節には多くの方が訪れる場所です。
「真田信幸の館跡」は、現在の上田高等学校のなかにあります。
上田高等学校はこの地域の公立高校のなかでは一番の進学校です。
学校の敷地ですから、一般人が勝手に入ることはできませんが、外から門構えを見ることができるでしょう。
そして、上田駅から歩いていける範囲に「芳泉寺」があり、小松姫のお墓をお参りすることができます。
小松姫は、徳川家、家臣である本多忠勝の娘であり、真田信之の妻です。
とても美しい姫だったそうですが、それだけではなく、小松姫の内助の功のことは言い伝えられています。
そして、上田駅から行ける柳町は観光地としても知られています。
上田城築城の際に作られた城下町であり、風情が残っている町としても有名です。
また、現在では、今風の店舗も登場しており、オシャレなカフェやランチが楽しめる町でもあります。
このように上田駅の近くには真田幸村ゆかりの場所が、点在していますので、電車の旅をする方にはおすすめです。

茶臼山の幸村本陣跡

「戦国武将の中で好きな人物は?」と聞かれて「真田幸村」と答える方も多いそうです。
NHK大河ドラマに取り上げられた歴史上人物は、オンエアと同時に、必然的に人気が高まりますが、真田幸村は、ドラマが始まる前からファンが多い武将だと思います。
そして、真田幸村をお好きな方は、さまざまなゆかりの地や、幸村を偲ぶことができる観光地にお出かけすることも多いでしょう。
ゆかりの地として有名な場所のひとつに、茶臼山の幸村本陣跡があります。
ここは、あの大坂夏の陣において、真田幸村が陣を構えたところです。
大阪夏の陣は、2日間、繰り広げられた大きな戦いであり、最終日に真田幸村がこの場所に陣を構えたと言われています。
ここ一帯は、大阪城から見て南側の平地ですが、茶臼山は小高くなっています。
真田幸村の軍は、ご存知の方も多いように、甲冑を赤でそろえていました。
それを遠くの敵軍から見て、「茶臼山に、赤い花が咲いているように見えた」という話も残されています。
大阪冬の陣では、同じこの場所で、徳川家康が陣を構えました。
真田が「日本一の兵」と言われているのは、真田幸村がこの場所から最後の力を振り絞り、家康の本陣へ突き進んだからです。
現在は、この場所に「茶臼山古戦場跡」の看板もあり、六文銭の旗をみることができます。
昭和61年、茶臼山は古墳の確認調査を目的に発掘され、茶臼山で発見された大坂の陣の遺構等にもご興味がある方も多いことでしょう。
幸村ファンの方には、是非とも訪れていただきたい観光地です。

真田幸村ゆかりの地「九度山」

観光地である九度山にはさまざまなお勧めスポットがあります。
例えば、慈尊院、丹生官省符神社、高野山町石道、勝利寺、真田庵、松山常次郎記念館等です。
そして、九度山の名前ですが、弘法大師が自分の母親を迎えるため、月に9回、高野山から山を下って来たといわれている場所にちなんだ地名となっています。
NHK大河ドラマの主人公となった、武将の真田幸村ゆかりの地でもあります。
父、真田昌幸と幸村は、関ヶ原の戦いの序戦とも言える信州上田での戦いで勝利を得ました。
ですが、肝心の本戦で西軍が負けてしまったため、高野山へと追放されました。
高野山は、ご存知のように、とても寒さが厳しい場所なので、高野山の麓の九度山で生活していたそうです。
そして、真田幸村の父、昌幸はこの九度山で生涯を終えました。
一方、真田幸村は、豊臣方に声をかけられて、その後、大阪冬の陣や夏の陣で戦うことになりました。
それらの戦いで真田幸村の名前を後世に残すことになったのです。
このようなことから、真田幸村ファンの方にとって、九度山はお勧めの観光地ですので是非、お出かけください。
また、九度山町には、真田庵もあります。
正しい名称は善名称院(ぜんみょうしょういん)で、1714年に建てられました。
真田昌幸と幸村の隠棲の屋敷跡で、県の史跡にも指定されています。
門には六文銭の紋が刻まれており、三層城閣風の本堂、軒の瓦の菊花の紋章等、見所がたくさんあります。
真田昌幸の墓もありますので、是非、お参りをしてください。

玉造幸村ロード

真田幸村ファンの方に行っていただきたい横丁、それが「玉造幸村ロード」です。
周辺の観光地においての、話題のスポットにもなっているようですが、いわゆる、歴史的建物等のことではありません。
「幸村ロード」と命名されたのは、JR玉造駅の近くにあるとても狭い「横丁」です。
この横丁には、飲食店等、30軒以上のお店が立ち並びます。
大坂の陣400年にあたる2013年に、玉造にゆかりの深い真田幸村の名前をとって、「玉造幸村ロード」と名づけられました。
今では話題の観光地となっています。
真田幸村の六文銭の赤幡が通りに立ち並び、それぞれのお店が真田幸村にちなんだ特別メニューを出しているので、ファンにはとても嬉しいことですよね。
メニューには真田家の家紋である六文銭にちなんだ「幸村グルメ」が登場し、マスコミでも取り上げられるほか、徐々に口コミが広まり、横丁へ訪れるお客が増えているとのことです。
また街コンも開催され、歴史好きカップルが何組も誕生していると言いますから、確実に地域活性化に繋がっているプロジェクトですね。
横丁の町おこしとして、このような真田の名前がつけられた狭く短い横丁ですが、その人気は全国規模まで広がり、全国から真田幸村ファンが訪れているそうです。
また、真田幸村のファン以外でも、全国から歴史ファンが訪れている横丁としても話題になっています。
「大阪を代表する新しい観光地になるのでは?」と期待も大きいそうです。

玉造幸村ロード続き

そして、この玉造幸村ロードには「萌えパネル」があることでも、話題になっています。
この「玉造幸村ロード」は、長さ100メートルほどしかありませんが、その細い路地の店先にはパネルがところ狭しと、置かれています
このパネルは、真田幸村のほか、家臣として、登場する猿飛佐助、霧隠才蔵をはじめとした、真田十勇士が描かれているからです。
かっこよく、しかも、萌えキャラとして描かれている、真田十勇士たちは、真田幸村ファンも必見でしょう。
この萌えパネルには、歴史ファンの方にも人気が高く、記念撮影をする人も多いそうです。
真田幸村ゆかりの地としても、また別の顔として「萌え系の観光地」としても徐々に人気が高まっているというところが興味深いですよね。
「玉造幸村ロード」のあるイベントでは、十勇士をイメージしてハンバーガーが10種類、作られたそうで、多くの方がこの10種のバーガーの食べ歩きを楽しんだと言います。
こうして若い方にも興味を持ってもらえるように、また、年齢問わず楽しめるイベントを打ち出し続けている「玉造幸村ロード」。
大阪に旅行の際は是非、立ち寄っていただきたいと思います。
さて、玉造と言えば、その周辺には幸村が大坂の陣のときに築いた出城である「真田丸」がある場所です。
周辺は真田ゆかりの観光地としても有名であり、大坂城と地下で繋がっていたらしい「真田の抜け穴」がある三光神社もあります。
歴史を楽しむのもよし、萌えパネルと記念撮影するのもよし、おいしいメニューでおなかを満たしながら、真田幸村ゆかりの地を楽しみましょう。

鹿児島にある真田幸村の墓

真田幸村ゆかりの地は、日本全国にあり、それぞれの地域で、さまざまなストーリーが語り継がれていますよね。
そして、ゆかりの地が多い場所は、観光地として人気が高く、真田幸村ファンが日本中から訪れているそうです。
真田雪村については、さまざまな言い伝えがありますが、そのひとつに、九州にある真田幸村の墓のお話があります。
鹿児島県の南九州市に、「真田幸村の墓」と伝えられている場所があります。
「どうして九州に幸村の墓があるのだろうか?」そう不思議に思う方も多いでしょう。
それは、真田幸村が豊臣秀頼と一緒に島津氏を頼って、薩摩に逃れたとき、豊臣家再興のため、ひっそりと隠れ住んでいたという話が元になっています。
もちろん、伝説なので、本当の話かどうかはわかりませんが、鹿児島には真田幸村の墓が残っているのです。
その場所は観光地とは離れた、静かな場所で、山の中に幸村の墓と言われている場所があります。
真田幸村ファンであれば、興味を持つ場所ではないでしょうか。
所在地の住所は鹿児島県南九州市頴娃町牧之内雪丸です。
真実はどうか、わかりませんが、真田幸村にまつわる話には伝説的なものも多く、真田十勇士などもその代表的なものです。
本当にここが真田幸村の墓になるのか、どうかは、誰も確かめられません。
信じるかどうかはみなさん次第だと思いますが、この場所で幸村に思いを馳せてみるのもステキですよね。
九州に旅行する機会があったらぜひ、この場所にも訪れてみてください。

スポンサードリンク
ブログランキング・にほんブログ村へ
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメントは利用できません。

最近の記事

  1. 2018.02.13

    調理師の資格

ブックマーク

浴衣えらび.com
もともと着物が好きな事もあってお気に入りのサイト。管理人が自分のセンスでいろんな浴衣をチョイスしてます。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ
  • SEOブログパーツ